Wednesday, February 10, 2010

自己紹介・土谷

D-Lab Japan発起人の一人、土谷です。良く「何をやっている人なんですか?」と聞かれるのですが、本業は半導体の微細加工技術を駆使し、高密度で安価な燃料電池を作るため、会社を立ち上げています。ハーバードからの大学発ベンチャーなので、ハーバードにも研究員として籍を残し、学術研究と製品研究の中間で日々研究活動をしています。

さて、私が途上国向けの適正技術に興味を持ったきっかけは、米国で博士論文を書いている中で「科学技術は人々の生活を本当に豊かにしているのだろうか」という疑問を常に持ち続けてきたことにあります。私は80年代の日本に生まれ、技術の発達で豊かになった日本で育ちました。理系科目が苦手ながら理工系学部に進んだのも、やはり技術こそが人々の生活を豊かに出来る手段だと強く信じていたからです。焼け野原の日本と「豊か病」とまで言われる現代の日本、科学技術が人々の生活を豊かに出来るということに、あまり疑問を感じることはありませんでした。

しかし、米国の大学院という世界中から人が集まるコミュニティに入って世界を見渡してみると「果たして、それは正しかったのだろうか?」と思うようになりました。日本は科学技術の発達と共に豊かになったかもしれないが、その一方で成長の影になってしまった人々もいるのではないだろうかと。40億人を超える人が1日2ドル以下で暮らしている現状とは何なんだろうかと考え始めたのです。科学技術は先進国の人々の知的好奇心を刺激し、論文の投稿数や特許数を競うために為にあるのではなく、社会全体を豊かにする為に使われるべきではなかったのかと。そこで、少なくとも恵まれた環境で育った者の義務として、狭い分野の先端知識を学ぶだけではなく、科学技術が社会全体の富とならない現状の課題を見つけ出し、問題解決にも微力ながら貢献したいと思うようになった訳です。

幸い、米国の大学にも日本の大学にも似たような問題意識を持つ学生が多くいました。学生というのは既得権益をあまり持たないため、時代の動きに非常に敏感です。特に「若さ、豊富な知識、積極性」を持った学生というのは、時代の流れを作り、問題解決を導くエネルギーを持っています。世界規模のベンチャーを立ち上げてきた学生は、そうした学生たちです。そこで、米国のトップの大学で「エネルギー溢れる学生がどこにいるのだろうか」という目で大学を見渡してみました。そこで目に付いたのが、MITのD-Labなどに代表される「貧困削減に科学技術で挑む」授業でした。これらの授業に興味がある学生は、積極的な学生が多い米国のトップ大学の中でも「飛び抜けているな」という印象を持ちました。更に、D-Labは殆どの学科で卒業単位にも加算されず、非常に宿題の量も多い授業でした。日本の大学で「楽勝」の授業が人気があるのとは裏腹に、この授業は「非常に厳しい」が故に毎年抽選になる人気授業だったのです。授業の改善や設置も、学生や若手教員からの熱意に応える形でボトムアップ的に起こっていました。これはMITに限らず、他の米国のトップ大学でも同様です。

そこで、MITのOpen Course WareでD-Labの授業内容を学んでみることにしました。さらに、この分野の授業の担当者が各地から集まる会議に無理を言って参加させてもらい、この分野を深く学ぶことにしました。この体験は、私にとって目からウロコでした。D- Labは社会問題の解決に先進国の「知」や「技術」を使うというだけではなく、知識の複雑化で座学の量が増えてしまった理工学教育、学生の興味を惹けない一般教養教育のあり方を革新的に変える要素が詰まった授業だったのです。

D- Labでは、技術だけでなく、学生に途上国問題の複雑な歴史背景、文化対立、利権対立なども丁寧に教えています。実際のケースを使ったロールプレーや「1日2ドル1週間生活する」などの内容もあり、学生に当事者意識を根付かせる工夫も多くなされています。また、実際にローテクながらも人々を助ける為に技術開発を「手を動かして」行うことで、受動的ではなく能動的に工学を学ぶことも出来る訳です。簡単な技術のプロジェクトですが、学生は自ら情報を集め、ユーザーの立場でデザインを考え、決められた期間内にプロトタイプを作り、メンテナンスも含め持続可能な仕組みを考えなければなりません。小さなプロジェクトは言え、工学の基礎が全て詰まった授業なのです。更に、国際開発という女性比率の多い分野が工学に加わったことで、工学のプロジェクトにも関わらず女性比率が高いのにも驚きました。学科設置の授業ではないことから様々な経験やスキルを持つ学生が出会う場となっており、「社会問題を解決し、時代を先導するリーダーのネットワーク」が生まれる土台になっているということも理解できました。実際、授業での出会いがきっかけで起業している例も多くあります。

つまり、こうして見てみるとD-Labは「若者を育て、集まる知を生かして社会のニーズに対応し、時代を先導してゆく役割を果たす」という大学の使命そのものに上手く合致したものであり、そこが成功の裏側にあった訳です。グローバルニューディールとも呼ばれる時代の要請もあり、大学の本部もこうしたプログラムを強く支持しています。教育の質の向上、大学の社会貢献、グローバルネットワークの拡大と様々な面において、先進国の大学側にも大きなメリットがある互恵的なプログラムであるということが見えてきたのです。D-Labを始めたAmy Smithも「D-LabはTech Transferではなく、Knowledge Exchangeだ」と強調しています。途上国を助けるだけでなく、そのプロセスから先進国の学生や教員も色々なことを学んでいるのです。

そこで、日本導入を検討し始めました。日本が豊かな科学技術立国であるならば、その富とリソースを再分配してゆく義務があるのではないかと。日本の大学には貧困削減に役立つ多くのリソースが眠っています、それを刺激して出してゆきたいと思ったのです。そして「国際化」「社会のニーズに合った人材教育」「起業促進」と看板はあるものの大きな動きになっていない大学改革の流れに、若手からのボトムアップで新たな潮流を作れないだろうかと思いました。数値目標ではなく質を変えていく手助けをしたいという強い意志を持って臨むことにしました。

日本の大学はグローバル競争、少子化、独法化など厳しい環境におかれています。環境の変化に従来の縦割り構造が追従できず、世界の中で次第に存在感が薄くなっていないでしょうか。このまま旧来の姿勢を継続し、重箱の隅を突く様な先端研究だけに力を注いでいては、国際協調の流れに乗り遅れ、人材の国際競争に負け、ズルズルと存在感が無くなっていくでしょう。先端研究のレベルは欧米の大学と既に肩を並べています。国際社会でのプレゼンスの違いは「マインドセット」と「教育への熱意と質」に起因しているというのが私見です。日本の初等中等教育は欧米と比べて非常に高いレベルにあるにも拘らず、大学の卒業生の評価では逆転されてしまう。大学という「ブラックボックス」の性能が違うと考えるのは論理的な考察でしょう。大学は受動学習を能動学習へと変化させる場ですが、大教室の座学に偏重していて学生の意欲を削いでいないでしょうか。

D- Labは全ての意味で、原点に戻ることの重要性を教えてくれる気がしています。人を豊かにするのが科学技術であり、学生が最大限に学べる環境を整えるのが大学の使命です。リソース不足やグローバル化の過当競争によって疲弊している現状は良く理解できますが、原点に戻れば「出来ない」のではなく「やらなければならない」はずです。グローバル化の中、先進国日本はリーダーとなることを期待されています。その核となるべきは、時代を先取りして人材を育成する大学のはずです。

日本における高等教育の疎を築いた福沢諭吉は、慶應義塾の設置の目的として大学が「全社会の先導者」となることを強く求めました。ソニー創業者の井深大は「人間の生活に役立つものこそが本当の科学技術である」「青少年は科学技術に親しみ、日本を含む国際間の未来を切り拓く人材に育って欲しい」と述べています。成せば成るの精神で挑戦を続けた姿勢がソニーブランドを支えてきたのではないでしょうか。(余談ですが、私の名前は両親が彼の名前から取ったので、常に人生の岐路で見直しています。)パナソニックの創業者・松下幸之助もそうでしょう。「商売は世の為、人の為の奉仕にして、利益はその当然の報酬なり」「産業人の使命も、水道の水の如く、物資を無尽蔵たらしめ、無代に等しい価格で提供する事にある。」と問いかけ、その理念を実現する為に挑戦を続けました。

こう考えると、挑戦を阻害し失敗を許容しない近年の日本社会、高コスト体質が故にガラパゴス化している日本の製造業、既得権益の固まりで国際化に順応しきれない大学組織というのは、どこかで最も大切なものを忘れてしまった気がします。このD-Labは小さな活動ですが、科学技術の目的、大学の使命、企業の役割を原点に戻って考え直す要素が沢山詰まっています。日本が国際協調の時代を先導する科学技術立国となる疎を作る為、皆様にご支援ご協力頂ければと存じます。どうぞ宜しくお願いします。

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