遠藤です。
D-labは一ヶ月間、インドのカルカッタで活躍している個人発明家Suprio DasをMITに招き、学生の指導にあたってもらいました。彼の滞在中に、なぜ彼がいまの仕事をし始めたのかという話を聞く機会を得ました。
彼は、現在は個人発明家として活躍しておりますが、元々は地元の企業でエンジニアとして働いていました。地元の大学で電気工学を学んだ後、1980年から20年間、主に電気系統のケーブルを作る仕事をしていたそうです。日々の暮らしの中で、毎日のルーチンワークや、自分達の作る製品が裕福な人のためにしか使われないことに疑問を持ち、2000年、カルカッタ周辺の貧困層に属する人々を助ける為に、安定した職を自分から手放し、発明家としての道を選びました。
彼はこれまでに様々なプロジェクトに携わってきましたが、話をした後にもっとも印象に残ったのはDomestic Lightとよばれるプロジェクトでした。
このプロジェクトは、リキシャとよばれる人力三輪車に充電器をとりつけ、昼の間に充電されたバッテリーを夜の明かりにつかうという発明で、現在でもさまざまな村で使われているようです。このような起業家精神あふれる発明家が現地から生まれる例はあまり多くなく、D-labの学生も多くのことを学びました。また彼自身も非常に好奇心旺盛で、D-labの持つ技術すべてに興味深々に聞き入っていました。
笑顔を交えながら会話をしているといきなり真剣な目で、
「Ken、D-labはすばらしいものを作り続けているが、いまD-labのメンバーに必要なのは作ったものに責任をもつことだ。」
といい始めました。それから実際に起こった昔の話をしてくれました。
1970年代、カルカッタの近くの村にはきれいな飲料水を確保することが難しく、村人はバクテリアをたくさん含む水たまりの水を飲んでいたそうです。当然、体に良いわけはなく、特に子供の健康状態は非常に悪かったのです。そこで、WHOと政府が協力して村に井戸をつくり、地下のきれいな水を組み上げるポンプを設置したのです。当時はそれで問題が解決されたと誰もが信じたそうです。
数年後、その水にはヒ素が多く含まれていることが判明し、多くの人が命を落とし、あるいは後遺症に苦しんだそうです。WHOや政府は終了したプロジェクトのフォローアップを全くせずに、村人は仕方なく水たまりの水を再び飲み始めたそうです。
「おれはその話を聞いて、自分で技術を提供できる発明家になろうときめたんだ。」
本当に身が詰まる思いをしました。資本主義の原理が働く先進国では、だめなプロダクトは淘汰されますが、途上国ではそれが唯一のオプションになってしまう可能性があるのです。もしそのプロダクトが使用者の生死に関わる問題を抱えていたら、使用者全員を危険にさらしてしまうことになるのです。
私の場合、義足をつくるということは、ある意味患者の命を預かることと同じことなのです。
途上国向けのものをデザインする上で重要なものは何かと最近聞かれました。私は、目の前の人を助けようと思う気持ちと命をも預かるという責任感を持つことだと思います。
彼と話をしていて、自分のやっていることの重要性と危険性を再確認しました。彼はすでにカルカッタに戻って、水のくみ上げ装置のプロジェクトに携わっているようです。インドに今度行くときにはカルカッタにある彼の工房に行こうと思っています。
Wednesday, May 26, 2010
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素晴らしい教訓だと思います。
ReplyDelete時代の流れから言って、日本企業はすべからく今後、発展途上国へ向けての製品開発にせまられると思います。
その時に、単に安く質の良いモノを作るということだけに気持ちを集中するのではなく、売った後にそれらの責任を取る。ということも非常に重要だということですよね。
そして、その責任を取ることこそが、そのプロダクトの最終的な『品質』を決めているんだと思いました。
日本企業の作るプロダクトの付加価値は、やはり『品質』だと思います。モノづくりをする上で絶対にそこを忘れてはいけないという教訓なんだなぁ、と思いました。